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 先週の遺構検出面調査を終えて、天明8(1788)年火災整地層を掘削してその下面の遺構群を検出しました。一部の遺構は、もう掘削を始めました。直径約70㎝くらいの平面円形の小さな石組遺構がみつかっています。井戸にしては小さすぎるし、湧水層にまで到達する深さの遺構ともおもえません。時期は江戸時代中期以前のものと思われます。
 これまでの今出川キャンパス内の発掘調査では、このような遺構は公家屋敷などに多く見られ、庭の施設の一部(小さな水溜?)とも考えられますが、今ほっているのは武家の敷地内。江戸時代の絵図には「与力同心」などと書かれ、御所に関する任務をもつ中下級武士の居所と考えられます。そんなところに立派なお庭施設と同じような水溜があるのかなあ。
 調査スタッフは謎の石組施設に首をひねりつつ、掘削をすすめています。


江戸時代の小型の円形石組_a0382672_14413689.jpg江戸時代の小型の円形石組_a0382672_14420190.jpg



# by chienkan19 | 2019-08-01 14:57

きょうは、1区の第一遺構検出面の写真撮影を行います。下の写真(調査区を西から撮影)はその準備の真っ最中です。天明8年(1788)の大火の整地層での遺構検出面です。

写真の調査区の右端には、18世紀末以後に設けられた石組水路(これは近現代にコンクリート補修されています)があります。

また、調査区内には井戸や土坑がみられます。焼締陶器の甕を据えた土坑がみられ貯蔵施設もしくは水溜施設と思われます。

遺構密度はあまり高くなく、公家屋敷もしくは武家屋敷の中を掘っているんだろうなあと考えています。この発掘調査地点は、江戸末期(元治元年1864年)の京都の絵図をみると藤谷家という公家の北側に幕府の武家の屋敷がある地点にあたります。

さて、今ほっているのはどちらの屋敷の中なのでしょうか?
幕末の石組水路が両屋敷の境なら、写真に見る遺構群は武家屋敷のものといえるでしょう。


江戸後期の遺構面の全体写真撮影にむけて_a0382672_11291617.jpg


# by chienkan19 | 2019-07-25 11:30


調査地の1区の機械掘削は進み、江戸後期の天明8年(1788)の大火の火災整地層の上面での遺構検出が進んでいます。

井戸やごみ捨ての土坑などとともに、東西方向に長くのびる石組水路もみえます。
この水路は火災整地層の上に作られ幕末のものと考えられますが、近現代にモルタルやコンクリートU字溝で補修されて使われ続けていたようです。

もしかしたら、公家屋敷とその他の町家・屋敷地の境の水路だったかもしれません。
つまり江戸末期の門前町の区画溝がそのまま同志社キャンパスの排水溝として長く使われていたとも考えられます。

今日の午後から遺構掘削を始め、明日以後どんどんと江戸後期以後の遺構を掘削していきます。


江戸後期の火災整地層の上面_a0382672_15075135.jpg
# by chienkan19 | 2019-07-17 15:19

7月8日から機械掘削をはじめました。
これからよろしくお願いします。
2019年 7月8日 よろしくお願いします_a0382672_13290968.jpg

# by chienkan19 | 2019-07-08 14:50 | Comments(0)

相国寺旧境内の発掘調査

相国寺旧境内の発掘調査_a0382672_12410961.jpg
同志社大学今出川キャンパス内で、
致遠館 建て替えにともなう発掘調査を行っています


同志社大学 歴史資料館



# by chienkan19 | 2019-07-07 14:48 | 文化財 | Comments(0)