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安土桃山時代の焼失土蔵の調査は進んでいます。上段写真は調査区の今日の調査区の全景を南西方向から撮影したものです。
 中段の写真は、焼失土蔵のひとつの床構造を示す礫敷の検出状況を南からみたものです。拳大の礫が敷き詰められ、その上面に火災とその整地によって形成された焼土・炭化物層が形成されています。礫敷面には南北方向に60㎝間隔程度で幅10-15cmに筋状に礫の隙間がみられます。おそらく、丸太材あるいは角材が置かれていたと考えれます。
 また、下段の写真は同じ状況を東側から撮影した写真です。南北方向だけでなく東西方向に幅20㎝程度の礫敷のない溝状のへこみがあり、そこに炭化材が埋積しています。これらの痕跡から、土蔵の床下に礫敷をして木材を礫の間に東西南北の方向に設置していたことがわかります。おそらく床材の下に根太を並べていた痕跡と考えられます。この根太材と礫敷の上に板材を敷いて土蔵床を作っていたと考えられます。 
 焼土・炭化物層を一層ずつはがしていくことによって、建物構造の一端が見えてきます。これも発掘調査の面白さです。
 調査に参加している学生たちは、四苦八苦して悩みながら作業員さんたちとともに発掘を進めています。

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調査区南東部からの情景
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床下に礫を敷いた土蔵跡(根太とおぼしき丸太材痕跡がみえる)
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床下に礫を敷いた土蔵跡(長軸短軸方向に炭化した丸太材痕跡みえる)

# by chienkan19 | 2022-03-30 14:19

 2022年1月より、同志社大学歴史資料館では、同志社大学新町キャンパスにおいて育真館建替えに伴う発掘調査を行っています。この地点は中近世の近衛家(摂関家)の邸宅(江戸時代は別邸)があったことが絵図から知られており、大変重要な遺跡です。また、近世は一部が町屋となっていることも分かっており、いわゆる上京の町衆の住居なども検出されると想定されています。
 現在は、江戸時代初頭を中心市とした遺構面の調査が進行中。そこでは、土蔵の基礎と考えられる塼列・石列が方形(短辺4m程度、長辺7m程度)に展開する遺構が3-4か所でみつかっています。それらは、すべて大量の焼土と炭化物で覆われており、火災などによって焼失したと考えられる状態です。出土遺物はすくなく時期決定が難しいのですが、16世紀後葉から17世紀初頭のものと想定しています。
 上段の写真は、焼失した土蔵の床面を検出している状態です。床面上に炭化した木材と焼土が大量に堆積しています。この火災に際して崩落した建築部材と焼けた土壁片だと考えられ、塼列・石列で区画された土蔵の外側にも大きく広がっています。床面の炭化材には、床材が焼けてそのままのこっているも可能性のあるものもあります。
 中段の写真は、また別の焼失土蔵跡で、壁基礎と考えられる塼列・石列を大きく超えて焼土や炭化材片が散らばって堆積している状態です。焼失後に大きく倒壊した状態を示しているのかもしれません。
 下段の写真は、また別の焼失土蔵跡で、焼土・炭化物を取り除くと、土蔵壁基礎の塼列・石列の外側に黄色粘土を二重に敷いて押圧して固めた層が見つかっています。土蔵建築時に壁外側を固めたものと考えられますが、それが不整形に部分的には広く広がっていることも気になります。一時的土間床のようなしつらえを作ったのかどうか、調査を進めながら検証しています。
 これらの土蔵跡は、近衛家の施設というよりも、近世初頭に町屋になった部分に形成されたものと類推しています。ただ、これについては、遺構の時期の詳細な検討と古絵図などとの対応を慎重に進める必要がありそうです。

安土桃山~江戸時代初頭の土蔵の焼失遺構_a0382672_10544684.jpg
焼失した土蔵の床面か
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壁基礎の塼列・石列を焼土や炭化材片が散らばる
安土桃山~江戸時代初頭の土蔵の焼失遺構_a0382672_10545929.jpg
土蔵壁基礎の塼列・石列の外側に黄色粘土を二重に敷いた跡




# by chienkan19 | 2022-03-28 11:04