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礎石建物と石・塼敷遺構

 写真のように、江戸後期の公家屋敷地の中には、一辺30㎝程度の礎石が多く検出される場所があります。(写真の上部)
 ただ、それらは等間隔に配列されていません。また、礎石は残っていないのですがそれを抜き取った凹みが東西南北方向に列状に検出されます。礎石の周囲は黄色粘土ブロックを多く含んだ土壌で整地されているようにもみえます。どうやら、建て替えをともなう複数の小規模な礎石建物が重複した状態で見つかっているようです。
 また、それに付帯するように、石と塼を列状に敷いた遺構も見つかっています。(写真の中~下位)礎石建物の周囲の通路もしくは雨落溝のような施設かもしれません。何度も同じ場所に礎石建物が立て替えられ、その周囲の地面にもしつらえがあったと思われます。
この遺構群のすぐ近くで江戸時代後期の漆喰造りの導水施設(庭園関連遺構)が見つかっているので、同じように庭に付帯する建物や施設だったのかもしれません。
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by chienkan19 | 2019-11-15 15:52

前々回の記事でお伝えした、公家屋敷の庭園遺構の一つと考えられる漆喰造りの導水施設の状況がよくわかってきました。
写真の状況は、円形石組み(小さな井戸のようなもの)に導水管がとりつき、さらにその結節部には丸瓦を置いて、まさに「石組に水が注ぎこむ」ような構造となっていました。庭内に漆喰造りの浅い池や流水施設をおき、その水を最後は円形石組に落とし込む構造だったと想定されます。なかなか優雅なお庭だったのでしょう。

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by chienkan19 | 2019-11-12 09:44

土蔵の壁基礎+礫敷床?

3週間ほど、ブログ更新を怠っていました。
天明大火(1788)前後の江戸時代後期の公家屋敷敷地内の調査はすすみ、いろいろな遺構が見つかっています。
調査区の東部では、幅0.8mで直線状にのびる礫の集積がみつかり、L形に展開しています(上の写真)。
これまでの今出川キャンパスや他の京都市内の例では、こういった方形に展開する直線状の礫集積は土壁の基礎、特に土蔵の壁基礎の可能性が高いといわれています。さらに東側にも礫を敷き詰めた直線状の遺構があるので、土倉が広がるか、もう一棟の倉があった可能性もあります。

また、L形の土壁基礎の内側には、直径1cm未満の礫を薄く固く敷き詰めた礫敷が見つかっています。(下の写真)
土倉の壁に囲まれた内部の床面の一部が礫敷としつらえになっていたとも考えられます。

この地点は、今出川通から北へ15-20m程度の場所であり、今出川通りに門を構える公家屋敷の奥の部分にあたります。
敷地の奥に土蔵を配する屋敷だったとも考えられます。

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by chienkan19 | 2019-11-01 15:36

今週から、調査区を拡張して2区の機械掘削を始めています。江戸時代後期、1788(天明8)年の火災整地層の上下面を検出中です。
位置は、近世絵図に見える公家屋敷の敷地の中と思われる地点です。
そこでは、下の写真のような漆喰造りの遺構が見つかっています。
断面方形の幅20-30㎝程度の漆喰の管状遺構が二又にわかれてのびています。その結節点には円形に石が並びその内側には灰色の細粒砂~シルトが堆積しています。
おそらく、水溜施設とそこから延びる(そこへつながる?)導水施設かと思われます。
今出川キャンパスでは、同志社女子大敷地内(江戸時代の二條家屋敷跡)で類似した遺構が大規模にみつかっています。京都御苑の中の迎賓館地点の公家屋敷跡でも類似遺構が見つかっています。
当調査区で見つかっている漆喰造りの遺構は、おそらく公家屋敷の中の庭に関連する施設と考えられます。
問題は時期ですが、1788年の火災焼土の上面に形成されているのか、下面なのかが見分けにくい状態です。近現代盛土を機械で除去すると、パッチワーク状に分布する焼土層とともに、この漆喰施設が姿をみせているのです。
詳細に周囲の堆積状況を確認しながら調査を進めます。
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by chienkan19 | 2019-10-08 15:37

木製枠が置かれた井戸?

現在、1工区は、第4遺構検出面の遺構掘削作業中です。15-16世紀・室町時代後半の遺物と遺構が多く見つかっています。
中には、石組みが崩れたような堆積で充填された円形土坑があり、その最下面には直線的な線状のへこみが「コ」字形にみえます。へこみには黒色粘土が埋積していました。板状の木製品だとすれば、井戸の最下層の木製枠の跡かもしれません。
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by chienkan19 | 2019-10-01 14:35

現在、安土桃山時代を中心とした検出面の遺構を掘削中ですが、すこし変わった遺構がみつかっています。
写真の遺構ですが、直径3m程度の円形土坑を掘り進むと中央部に石組みがあり、そこに炭化物を大量に含む土壌が埋積しています。
最初は、カマドの下部を掘っているのか、と思いましたが中央部を断割掘削してみるとさらに下面にも石が並んでいます。これはカマドではないということで、現在思案中です。出土遺物から、遺構の埋積した時期は、16世紀末くらいと考えられます。

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by chienkan19 | 2019-09-17 13:02


しばらく、ブログ更新を怠っていました。今出川キャンパスの致遠館地点の1区の調査は、第3遺構検出面の調査をほぼ終えています。
この検出面からは、安土桃山時代~江戸時代初期の土師器・陶器類が多く出土しています。
みつかった遺構群もその時期に形成されたものと考えられます。
土坑などが多くみられるのですが、なかには石を方形に敷き詰めた遺構もあります。建物の基礎(いわゆる地業)の痕跡かともおもったのですが、形態や配列からみるとそう断言することは難しいです。
また、こぶし大の川原石を積んでつくった方形の石組がみつかりました。これは、食物などをいれる地下式貯蔵庫と思われます。中世後期~近世を中心に屋敷地・寺社境内・町家などでよくみられるものです。
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この地点で見つかるこういう生活遺構は、誰のものなのかという点が気になります。この調査地が江戸時代の絵図には公家屋敷とそれに隣接する武家の居住地であることはわかっているのですが、江戸時代初期以前のことは不明です。
相国寺の寺域ではありますが、門の外側で塔頭やお堂のある場所とは考えられません。
お寺の門前町として、中世終わりころから町家などができ始めているのでないかと想像されますが、定かではありません。
とはいえ、生活遺構が見つかることは、居住地をなっていたことは確かなようです。

これより、下位の遺構面は、中世の遺構が見つかるようです。絵図には載らない景観を、どうやって発掘調査で明らかにしていくか。
次なる課題です。

 


by chienkan19 | 2019-09-05 13:47 | Comments(0)

石組と瓦積併用の井戸

現在第2遺構検出面の調査中です。江戸中期を中心とした遺構群を掘削中です。
石組井戸がいくつもみつかってきているのですが、下の写真はそのひとつ。
基本的には石組井戸なのですが、部分的に瓦積で井戸側が構成されています。
まだ底面まで完掘していないので最下部は不明ですが、下から順に石組で、途中で半周くらい瓦積にして、その上はまた石組で仕上げるという変わりものです。
もしかしたら、井戸の機能中に上部石組を組み替えて、その際に一部だけ瓦積にしたのかもしれません。
これは、360°の石組み立面の記録がいるのか、とも思います。写真測量で遺構図作っているので、よく考えれば可能です。たくさん図化用の写真をとって、360°の立面記録にチャレンジします。

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by chienkan19 | 2019-08-08 11:37

 先週の遺構検出面調査を終えて、天明8(1788)年火災整地層を掘削してその下面の遺構群を検出しました。一部の遺構は、もう掘削を始めました。直径約70㎝くらいの平面円形の小さな石組遺構がみつかっています。井戸にしては小さすぎるし、湧水層にまで到達する深さの遺構ともおもえません。時期は江戸時代中期以前のものと思われます。
 これまでの今出川キャンパス内の発掘調査では、このような遺構は公家屋敷などに多く見られ、庭の施設の一部(小さな水溜?)とも考えられますが、今ほっているのは武家の敷地内。江戸時代の絵図には「与力同心」などと書かれ、御所に関する任務をもつ中下級武士の居所と考えられます。そんなところに立派なお庭施設と同じような水溜があるのかなあ。
 調査スタッフは謎の石組施設に首をひねりつつ、掘削をすすめています。


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by chienkan19 | 2019-08-01 14:57

きょうは、1区の第一遺構検出面の写真撮影を行います。下の写真(調査区を西から撮影)はその準備の真っ最中です。天明8年(1788)の大火の整地層での遺構検出面です。

写真の調査区の右端には、18世紀末以後に設けられた石組水路(これは近現代にコンクリート補修されています)があります。

また、調査区内には井戸や土坑がみられます。焼締陶器の甕を据えた土坑がみられ貯蔵施設もしくは水溜施設と思われます。

遺構密度はあまり高くなく、公家屋敷もしくは武家屋敷の中を掘っているんだろうなあと考えています。この発掘調査地点は、江戸末期(元治元年1864年)の京都の絵図をみると藤谷家という公家の北側に幕府の武家の屋敷がある地点にあたります。

さて、今ほっているのはどちらの屋敷の中なのでしょうか?
幕末の石組水路が両屋敷の境なら、写真に見る遺構群は武家屋敷のものといえるでしょう。


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by chienkan19 | 2019-07-25 11:30