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安土桃山~江戸時代初頭の土蔵の焼失遺構

 2022年1月より、同志社大学歴史資料館では、同志社大学新町キャンパスにおいて育真館建替えに伴う発掘調査を行っています。この地点は中近世の近衛家(摂関家)の邸宅(江戸時代は別邸)があったことが絵図から知られており、大変重要な遺跡です。また、近世は一部が町屋となっていることも分かっており、いわゆる上京の町衆の住居なども検出されると想定されています。
 現在は、江戸時代初頭を中心市とした遺構面の調査が進行中。そこでは、土蔵の基礎と考えられる塼列・石列が方形(短辺4m程度、長辺7m程度)に展開する遺構が3-4か所でみつかっています。それらは、すべて大量の焼土と炭化物で覆われており、火災などによって焼失したと考えられる状態です。出土遺物はすくなく時期決定が難しいのですが、16世紀後葉から17世紀初頭のものと想定しています。
 上段の写真は、焼失した土蔵の床面を検出している状態です。床面上に炭化した木材と焼土が大量に堆積しています。この火災に際して崩落した建築部材と焼けた土壁片だと考えられ、塼列・石列で区画された土蔵の外側にも大きく広がっています。床面の炭化材には、床材が焼けてそのままのこっているも可能性のあるものもあります。
 中段の写真は、また別の焼失土蔵跡で、壁基礎と考えられる塼列・石列を大きく超えて焼土や炭化材片が散らばって堆積している状態です。焼失後に大きく倒壊した状態を示しているのかもしれません。
 下段の写真は、また別の焼失土蔵跡で、焼土・炭化物を取り除くと、土蔵壁基礎の塼列・石列の外側に黄色粘土を二重に敷いて押圧して固めた層が見つかっています。土蔵建築時に壁外側を固めたものと考えられますが、それが不整形に部分的には広く広がっていることも気になります。一時的土間床のようなしつらえを作ったのかどうか、調査を進めながら検証しています。
 これらの土蔵跡は、近衛家の施設というよりも、近世初頭に町屋になった部分に形成されたものと類推しています。ただ、これについては、遺構の時期の詳細な検討と古絵図などとの対応を慎重に進める必要がありそうです。

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焼失した土蔵の床面か
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壁基礎の塼列・石列を焼土や炭化材片が散らばる
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土蔵壁基礎の塼列・石列の外側に黄色粘土を二重に敷いた跡




by chienkan19 | 2022-03-28 11:04