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しばらく、ブログ更新を怠っていました。今出川キャンパスの致遠館地点の1区の調査は、第3遺構検出面の調査をほぼ終えています。
この検出面からは、安土桃山時代~江戸時代初期の土師器・陶器類が多く出土しています。
みつかった遺構群もその時期に形成されたものと考えられます。
土坑などが多くみられるのですが、なかには石を方形に敷き詰めた遺構もあります。建物の基礎(いわゆる地業)の痕跡かともおもったのですが、形態や配列からみるとそう断言することは難しいです。
また、こぶし大の川原石を積んでつくった方形の石組がみつかりました。これは、食物などをいれる地下式貯蔵庫と思われます。中世後期~近世を中心に屋敷地・寺社境内・町家などでよくみられるものです。
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この地点で見つかるこういう生活遺構は、誰のものなのかという点が気になります。この調査地が江戸時代の絵図には公家屋敷とそれに隣接する武家の居住地であることはわかっているのですが、江戸時代初期以前のことは不明です。
相国寺の寺域ではありますが、門の外側で塔頭やお堂のある場所とは考えられません。
お寺の門前町として、中世終わりころから町家などができ始めているのでないかと想像されますが、定かではありません。
とはいえ、生活遺構が見つかることは、居住地をなっていたことは確かなようです。

これより、下位の遺構面は、中世の遺構が見つかるようです。絵図には載らない景観を、どうやって発掘調査で明らかにしていくか。
次なる課題です。

 


# by chienkan19 | 2019-09-05 13:47 | Comments(0)

石組と瓦積併用の井戸

現在第2遺構検出面の調査中です。江戸中期を中心とした遺構群を掘削中です。
石組井戸がいくつもみつかってきているのですが、下の写真はそのひとつ。
基本的には石組井戸なのですが、部分的に瓦積で井戸側が構成されています。
まだ底面まで完掘していないので最下部は不明ですが、下から順に石組で、途中で半周くらい瓦積にして、その上はまた石組で仕上げるという変わりものです。
もしかしたら、井戸の機能中に上部石組を組み替えて、その際に一部だけ瓦積にしたのかもしれません。
これは、360°の石組み立面の記録がいるのか、とも思います。写真測量で遺構図作っているので、よく考えれば可能です。たくさん図化用の写真をとって、360°の立面記録にチャレンジします。

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# by chienkan19 | 2019-08-08 11:37

 先週の遺構検出面調査を終えて、天明8(1788)年火災整地層を掘削してその下面の遺構群を検出しました。一部の遺構は、もう掘削を始めました。直径約70㎝くらいの平面円形の小さな石組遺構がみつかっています。井戸にしては小さすぎるし、湧水層にまで到達する深さの遺構ともおもえません。時期は江戸時代中期以前のものと思われます。
 これまでの今出川キャンパス内の発掘調査では、このような遺構は公家屋敷などに多く見られ、庭の施設の一部(小さな水溜?)とも考えられますが、今ほっているのは武家の敷地内。江戸時代の絵図には「与力同心」などと書かれ、御所に関する任務をもつ中下級武士の居所と考えられます。そんなところに立派なお庭施設と同じような水溜があるのかなあ。
 調査スタッフは謎の石組施設に首をひねりつつ、掘削をすすめています。


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# by chienkan19 | 2019-08-01 14:57

きょうは、1区の第一遺構検出面の写真撮影を行います。下の写真(調査区を西から撮影)はその準備の真っ最中です。天明8年(1788)の大火の整地層での遺構検出面です。

写真の調査区の右端には、18世紀末以後に設けられた石組水路(これは近現代にコンクリート補修されています)があります。

また、調査区内には井戸や土坑がみられます。焼締陶器の甕を据えた土坑がみられ貯蔵施設もしくは水溜施設と思われます。

遺構密度はあまり高くなく、公家屋敷もしくは武家屋敷の中を掘っているんだろうなあと考えています。この発掘調査地点は、江戸末期(元治元年1864年)の京都の絵図をみると藤谷家という公家の北側に幕府の武家の屋敷がある地点にあたります。

さて、今ほっているのはどちらの屋敷の中なのでしょうか?
幕末の石組水路が両屋敷の境なら、写真に見る遺構群は武家屋敷のものといえるでしょう。


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# by chienkan19 | 2019-07-25 11:30


調査地の1区の機械掘削は進み、江戸後期の天明8年(1788)の大火の火災整地層の上面での遺構検出が進んでいます。

井戸やごみ捨ての土坑などとともに、東西方向に長くのびる石組水路もみえます。
この水路は火災整地層の上に作られ幕末のものと考えられますが、近現代にモルタルやコンクリートU字溝で補修されて使われ続けていたようです。

もしかしたら、公家屋敷とその他の町家・屋敷地の境の水路だったかもしれません。
つまり江戸末期の門前町の区画溝がそのまま同志社キャンパスの排水溝として長く使われていたとも考えられます。

今日の午後から遺構掘削を始め、明日以後どんどんと江戸後期以後の遺構を掘削していきます。


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# by chienkan19 | 2019-07-17 15:19