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明日開催される、発掘調査現地説明会の資料をjpegデータを掲載します。

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# by chienkan19 | 2022-06-24 13:33

同志社大学歴史資料館は20221月より新町キャンパスの体育館建替地で発掘調査を行っており、この度、その成果を公開いたします。トピックは2点あります。資料のPDFデータは下記URLからダウンロードしてください。

https://www.doshisha.ac.jp/attach/news/OFFICIAL-NEWS-JA-8993/168008/file/file1-3.pdf


トピック1

【幅約3-4m深さ約2mで東西方向に30m以上延びる室町時代の大規模な溝を検出しました。

隣接する既往調査で検出した大溝の延長と考えられ、あわせて70m以上の長さの遺構と推定できます(資料3)。
調査地は鎌倉~南北朝期の持明院殿(後深草上皇系・北朝の院御所)に南面する大路に接し、室町時代後半の摂関家である近衛家邸に相当します(資料1左上・下)。遺構は中世の持明院大路(毘沙門堂大路・西大路とも呼ばれる。現在の上立売通に相当する。)に沿うもので、文献資料から持明院殿の南には政治の中核地にふさわしい大路があったと想定されています。この度の調査で、それを示す大路に伴う大溝がみつかりました(資料1左上)。また、この溝は、1516世紀には近衛家邸宅の北辺にあたり、周辺には室町幕府や有力守護大名細川家邸宅などが立ち並んでおり、14世紀から引き続いて、この大溝を伴う壮麗な大路が室町時代後半まで機能していたことがわかります(資料1下・資料3)。

同志社大学新町キャンパス内発掘でみつかった 室町時代(14~16世紀)の大溝と現地説明会の開催について_a0382672_11553305.jpg

同志社大学新町キャンパス内発掘でみつかった 室町時代(14~16世紀)の大溝と現地説明会の開催について_a0382672_11554590.jpg


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トピック2

【安土桃山時代~江戸時代初頭(16世紀末・17世紀初頭)の土蔵基礎を4棟以上検出しました。


調査地は室町時代後半以後には近衛家邸でしたが、江戸時代にはその一部(上立売通と新町通沿い)は町家になっています(資料1右上)。この度の調査で、その町屋の一部と考えられる土蔵基礎を4棟以上検出しました。この部分は当時の商家の施設群だったと考えられます(資料2)。

以上の発掘調査の成果について一般の方向けに現地説明会を開催します。下記URLにアクセスください。

https://www.doshisha.ac.jp/event/2022/0609/event-detail-4712.html


# by chienkan19 | 2022-06-17 11:58

室町時代の大溝と礎石

 同志社大学歴史資料館が上京遺跡・新町校地遺跡で行っている発掘調査は佳境を迎えつつあります。
 現在、第5遺構面の室町時代を中心とした遺構群の検出作業中です。黄色粘土を中心とした基盤層上面に掘りこまれた遺構を埋めた黒色~褐色の土が見えてきました。この黒色・褐色土が室町時代の遺構の埋土です。下の写真に緑色で指示した部分は幅3~4m程度の東西方向の大溝です。実は現在の調査区の西隣の地点を約20年前に発掘した際に、この延長線上に同じような大溝が検出されています。その際には出土した土器から南北朝期(14世紀後半・室町時代前半)の上立売通にともなう溝だと推測されていました。その溝が今回の調査地点までまっすぐ伸びてきていることが確認されたのです。もちろん遺構内埋土を掘削しないと既往の調査の大溝と同時期で連続した遺構か否かの確定はできないのですが、その可能性は高まってきました。
 また、この大溝埋土の上面には、方形の礎石がみつかっています。この礎石の7.2m(4間)東にも大型の礎石がみつかっています。おそらく南北朝期の大溝が埋まった後に、この上にかなり大型の建物が建てられたと考えられます。つまり室町時代後半の近衛家邸宅はそれまでの敷地を北へ拡張して上立売通りを狭めてできたのではないかという推測もできます。
 もちろん、これらの遺構をきちんと掘削して、出土遺物や堆積状況を確認しないと確定的なことは言えません。しかし、今後の調査の焦点の一つが明確になってきました。


室町時代前半の大溝とその埋土上におかれた礎石(下写真・緑色の部分が大溝の埋土・調査区北側から撮影)
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# by chienkan19 | 2022-05-19 10:12

室町時代の石敷と溝


 上京遺跡・新町校地遺跡(同志社大新町キャンパス・育真館地点)の調査は、いよいよ室町時代の遺構面へとすすんでいます。
 写真は、調査区北東部つまり上立売新町の交差点に近い地点で検出されている遺構です。遺構を北側から撮影したものです。一辺約0.3~0.4m程度の平たい石を南北約4m・東西約3mの範囲に石を敷き詰めた遺構がみつかっています。その西辺は南北方向に幅0.5mほどの溝状に敷石のない部分があります。南北方向の石敷溝の東岸(写真では左側)に広く石を敷き詰めているともいえるでしょう。この遺構の南側(写真奥)と北側(写真手前)はのちに設けられた石組み井戸によって壊されていますが、この石敷きを覆う土層からは中世後半を中心とした土器片が出土しています。現状では室町時代の遺構と考えられます。
 室町時代の当地点は、最高格の公家である摂関家の近衛家の屋敷であったことがわかっています。16世紀の洛中洛外図屏風には「近衛殿」「このゑとの」などと書かれ、その後の複数の絵図などには「桜御所」ともあり、華やかな邸宅とみられていたようです。この石敷き+溝状遺構は、中世の近衛家屋敷の施設であった可能性が高いでしょう。遺構の機能や性格は不明ですが、注目されます。


写真 室町時代の石敷と溝(南側・写真奥、北側・写真手前の二つの石組み井戸が石敷きを壊して後から設けられている)
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# by chienkan19 | 2022-04-20 11:47

 中世末~近世初頭の焼失土蔵の調査は進んできました。下の写真のように、土蔵跡(遺構番号20003)は上面に堆積した焼土・炭まじりの火災整地層を除去した状態です。短辺約3m、長辺約6mの範囲に石列と塼列が置かれ、その外側に小礫が積まれている状態です、この石列・塼・小礫の上に土壁が構築されていたと推定されます。
今回の調査区では、他にも複数の焼失土蔵遺構が見つかっています。ただ、全体の規模がきちんとわかるのはこの遺構だけなので、貴重な成果です。
 下の写真は遺構の北側から撮影しているのですが、手前左つまり遺構北辺の東端だけが石列・塼列が途切れています。この部分が土蔵の入り口だったと想定されます。ということは、この蔵は敷地に北接する上立売通の方向に出入口があったことになります。推定すると、この土蔵をもつ家屋は上立売通りに面した敷地をもち、家屋の南側背後に蔵が置かれていたとも考えられます。やはり、近衛家邸ではなく、上立売通りに面した町屋の施設と理解したほうが良いのではないかと現場では話し合っています。
 室町時代後期~江戸時代はじめの洛中洛外図屛風には、上立売通は人通りの多いメインストリートだったように表現されています。賑わいに面した商家などの土蔵だったのかもしれません。


土蔵跡(遺構番号20003)壁基礎の全体がわかる↓
中世末の土蔵壁基礎の全体像_a0382672_11432634.jpg
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# by chienkan19 | 2022-04-13 11:54